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2015/06/18恩師・東孝光先生が亡くなりました。

建築家 東孝光 先生が亡くなられた。

大阪大学の大学院、そして東・環境 建築研究所に勤務した合計約7年間、先生のものとでたくさんのことを学ばせていただいた。キラー通りに建つ「塔の家」は1966年に完成した東先生の自邸であり代表作品である。(写真)私は学部生の頃から憧れてよくこのあたりをうろついた。建築の持つ根源的な強さと美しさ、そして町との関わりを体現した戦後最も重要な住宅の一つである。

大学院に進むとき、大阪大学の教授をされていた東先生に会いにいった。ちょうど授業があるから聞いていきなさいということで拝聴した。授業の中でギーディオンについて述べておられた。建築家が語る建築史。そうだ、この環境を求めていたのだと確信した。建築家が教授をやっている大学院に行く。決めた!そして未だかつてないくらい勉強して大阪大学大学院に合格した。初年度、阪神淡路大震災に見舞われ震災復興のプロジェクトに参加した。ここでは建築と人のあるべき姿のリアリティを実感した。そして先生の作品のお手伝いや、ドローイング、現場の見学に参加させていただいた。アメリカへ建築視察旅行にもご一緒させていただいた。レンタカーを借りて私が運転してライトの落水荘、カーンのいくつかの作品も一緒に観て回った。いつも青い服を着ておられた。ホテルに帰ってもやはり青い服だった。お酒もたくさん飲んだ。今でも目に浮かぶ。

私が20世紀の建築の初期に関心があることを述べると先生はロシアアバンシャルド、イタリア未来派などアンビルドの建築家たちを調べてみようということで、本を手に入れ翻訳をしながらその周辺のことを調べた。先生の授業の枠の中で、これらの資料を元に私が講義を担当させていただいたこともあった。修士論文はアントニオサンテリアをやった。ちょっとした発見もあって、おおいに先生は褒めてくれた。嬉しかった。これを学会の黄表紙で発表しよう。しかし・・・気がつけば20年。先生との約束が果たせていない。これが心残りである。

大学院を出ると、そのまま東先生の事務所に勤務させていただいた。大変光栄なことだと思う。住宅や別荘、そして保育園の設計を一緒にさせていただいた。厳しくも楽しく、大人として、建築家としての在り方をここで植え付けていただいたと思っている。昨今は師匠にいない建築家も多いが、やはり私にとって父のような存在。いや父以上に厳しく教えていただいたと思っている。

先生のご冥福を心からお祈りします。そして、心の底から感謝しています。ありがとうございました。

ありがとうざいました。

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